沿革

創設者グランヴィル・シャープとその妻マチルダ・リンカンはインドで結婚をした後、チャレンジに満ちた生活をこの香港ですることになりました。彼らが香港に降り立ったのは1858年クリスマスの日でした。

彼らは、南シナ海での難破、また海賊と遭遇するなどの災難に見舞われながらも、病気が蔓延した植民地で不屈の精神と決意を持ち、惜しみない愛でケアの必要な人々に仕えました。

マチルダの歩んで来た道

そういった中にあっても亡くなった人々への彼らの思いは深く、香港での生活と働きの源となりました。特にマチルダによる未亡人と孤児達へのケアにその思いがよく表されています。

グランビルが香港で貿易事業に成功してゆく中、マチルダは行く先々で苦しむ人々を助け続けました。その行いはグランビルの胸を打ち、彼女が更に深く関わることとなる西洋と中国社会にも感銘を与えました。

心からの贈り物

マチルダが亡くなって数年後、またグランビルが亡くなる数年前、彼は香港にとって贈り物となりうる、詳細な遺言を残しました。それは“医療専門家としての名声のためではなく、患者のためのケアと患者の幸せのため”に病院を作ることでした。その病院は、医療を必要とする人々の施設として、亡き愛する妻よりマチルダと名付けられました。

数多くの議論を経てグランビルの遺産の受託者は、ラマ海峡の広大な景色と新鮮な山の風を受ける現在の土地に病院を建設することに決めました。1907年1月27日に数人の入院患者を迎えました。これ以後もマチルダ病院は香港における財政難や、台風、戦争、さらに疫病の蔓延等数え切れないほどの困難にあいながらも、マチルダ・リンカンの意思を引き継いできました。

受け継がれている意志

歴史を振り返ると、こういった困難の中で非常に優れた人々が輩出されてきました。その中の一人に、マチルダ病院の理事であり、また香港上海銀行のヴァンデリュア・グレイバーン卿があげられます。グレイバーン卿は寄付基金を創設し、それによってマチルダと昔の“War Memorial Nursing Home”とを守り、植民地支配中スタンレー牢獄に収容されると言う苦難に屈する前に多大なる貢献をしました。

その後も、ふさわしい時期に多くの優れた人々が病院を訪れました。彼らは患者の心身のケアとともに病院の理想も大切に育んでいきました。良い時も困難に直面することもありましたが、世紀を超えてなお、グランビルの遺志は引き継がれここにあり続けています。